秦兵馬俑博物館 兵馬俑 世界遺産
観光地名 |
秦始皇帝陵博物院・兵馬俑 |
英語名 |
Emperor Qinshihuangs Mausoleum Site Park |
住所 |
中国陝西省陝西市臨潼区 |
ランキング |
世界文化遺産登録・第一陣全国重要保護文化財 |
入場料 |
120元(兵馬俑+秦陵) |
観光スポット |
兵馬俑博物館(1,2,3号坑)・銅馬車 |
行き方 |
遊5/306・遊307路線バス |
開館時間 |
夏季08:30-17:30 冬季09:00-17:00 |
古代中国では、生前の生活そのものを来世へ持っていこうという考えでしたから、王様が死ぬと生きた人間を殉葬することが多かったです。しかし、大勢の兵たちが殉死すると、国力が落ちるから、人形が代用されることになりました。そこで始皇帝は自分の兵士および馬をかたどった埴輪を造らせ、始皇帝陵の東1.5キロの場所にある副葬坑に埋めさせました。
『史記』や『漢書』などの歴史書には始皇帝陵の存在は記されていましたが、長い年月のことで存在そのものが人々の記憶からだんだん消えてしまいました。1974年付近の農民が日照りに悩んで井戸を掘っているとき、陶器のかけらを偶然発見しました。これをきっかけにして、専門家はいろんな試掘調査を行っていて、「秦」という字が書いてある敷瓦を見つけました。これは秦の始皇帝時代の地下近衛軍団副葬坑であったと確認して、それから大騒ぎになりました。
発掘調査が行われると、人々を驚かせるような結果がどんどん登場します。たとえば、今から2200年前に制作された兵士の身長は176~196センチで、その顔立ちや髪形はそれぞれ違います。秦の軍隊がさまざまな民族から成り立つ混成部隊で、かつての秦の敵国が存在した東方を向いてきちんと始皇帝陵を守っています。それと同時に、当時の秦軍の装備や編成などを生き生きと見せています。さらに、表面にクロム酸メッキをした剣はなお青白い光を放っています。
数年にわたる試掘の結果、三つの副葬坑の存在が明らかになりました。発見の順を追ってそれぞれ一号坑、二号坑、三号坑と名付けます。
主力右軍の一号坑は歩兵陣で、館内でもっとも大きいものです。東西幅230メートル、南北幅62メートル、深さ約5メートル、総面積12600平方メートルの地下室に、およそ6000体の兵馬俑が埋葬されているといわれます。そのうち約2000体が復元され、埋葬時のまま東を向いてずらりと整列して西の始皇帝陵を守っています。
主力左軍の二号坑は総面積約5600平方メートルのL字型で、戦車部隊、混成部隊、騎兵部隊と弩兵部隊から構成する混成陣です。現在でも発掘の最中にあり、見ものはガラスケースに収められた跪射武士俑、中級官吏俑、将軍俑、騎兵俑、立射武士俑です。
三号坑は小さく、526平方メートルで、南北の廂と真中の馬車小屋に分かれています。北の廂に鹿の角があり、ここで占いを行ったと推測できます。並べ方と発掘した武器からみると、南の廂にある兵隊はパレードであったと思います。全体の配置から三号坑は地下軍陣司令部であったとされます。
なお、1980年に始皇帝陵の西20メートル、地下7メートルの所に二台の青銅製の馬車が見つかりました。復元された二台の馬車が兵馬俑博物館内に収められて、三か所の発掘現場と合わせて公開されています。
1984年の時点で、陶俑1000余体、陶馬32頭、兵車8台、青銅製の武器1万件が発掘されたと報告されています。後7000体ぐらいの陶俑・陶馬がある見込みです。これが今世紀最大の発見と言われ、1987年、世界遺産に登録されました。
発掘現場で見ると、埋没している個体は折り重なっています。『漢書』には秦の始皇帝陵は項羽によって破壊されたと記されています。これらの破片を一つずつ掘り出し、組み合わせるのは決して容易な作業ではありません。そのほか、兵馬俑は当初が植物と鉱石の顔料に色づけされていました。発掘されたものは間もなく色褪せしました。専門家が色彩の残る文物を保護する技術の開発に没頭しています。
21世紀に入った現在でも、兵馬俑の発掘調査は続いています。近年の報告によると、始皇帝陵の周りに珍しい鳥や文官や芸人などの埴輪も相次いで発掘されたそうです。これらの文物の公開を楽しみにしましょう。