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西域砂漠紀行 |
2019年9月15日
敦煌飯店にて
走行450km 敦煌西部の砂漠(東西180km・南北90km)を、駆け巡った。
2%確率の、風のない日和に巡り会えた。広いとにかく広い、あたりまえだ 砂漠だから。
一本道が地平線の果てまで続き、かなたに蜃気楼が漂う。
全域が世界遺産となっているが、異なった分野で認定されている。
一つは 「雅丹(やるだん)景区」と言い、「中国敦煌世界地質公園」の砂漠に広がる奇岩の数々である。
乾燥で軟らかい地質が砂漠化する中、硬い部分が高さ20mほどで残され風蝕で削られて様々な形の奇岩として点在する。
もう一つは 「玉門関景区」と言い、漢代の長城(万里の長城で最初に建造された部分)と狼煙台の跡、そして玉門関と陽関という関所跡である。
漢の武帝(紀元前100年頃)は、長安西部のこの地を匈奴から守るべく、長城を築いた。
またこの地を併合統治すべく張騫を派遣し、国を守る長城と共に 西域との文化・物流に国家繁栄の可能性を見極め、そう シルクロードのきっかけを作った。
玉門関と陽関は、関所そして東西文化交流と物流の拠点であった。
玉門関は、高さ10m正方25mほどの土で築かれ、北と西に商人が出入りした門がある。
役人に荷をあらためられ、税金を払ったのであろう。
陽関は関所の全容が再現され、張騫の巨大な像とともに、往時の規模と賑わいの様子がうかがえる。
これらの漢代以降の人間の栄枯盛衰の歴史遺跡が、地球規模(地質)の歴史と言える砂漠と奇岩群の中に、忽然と並び展開する。
オアシスの水が滔々と流れるブドウ農園で、家庭料理の昼食をとった。
葡萄栽培の様子、そしてどこか西方系の顔立ちの若い女性のたたずまいに、ふと我に帰り、規模の異なる歴史の混在に思いを馳せた。
楽狂老人・辻 幸一
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