西安事件は1936年に中国西安で共産党軍との停戦し一致抗日を主張する張学良らが、あくまでも共産党軍への攻撃を命じる蒋介石を監禁し停戦要求を飲ませた事件です。 これにより第二次国共合作が成立したのです。
1936年10月に国民政府主席の蒋介石は、紅軍(共産党軍)の根拠地に対する総攻撃を命じましたが、この攻撃に参加していた張学良は、父である張作霖が殺害されたことから、抗日的気運が高く、共産党との国共内戦の停止、一致抗日の主張に対して、シンパシーを感じており、紅軍に対する攻撃が消極的となっていました。蒋介石は消極的な張学良を督戦するため、12月4日に西安東郊外の華清池に行きました。西安華清池に来た蒋介石に対し、張学良は内戦を停止するように説いたのですが、蒋介石にこれを拒絶されてしましました。このことを切っ掛けに、蒋介石を監禁し、国共内戦の停止、一致抗日などの8項目の要求を全国に流して第二次国共合作が成立しました。
今でも華清池の環園には五軒庁があり、蒋介石の泊まるところでした。今でもその夜の弾痕がまだはっきりに見えます。唐玄宗と楊貴妃の冬場の遊園地の華清池遺跡を見学した後、是非、中国近代史の大事な一ページ、西安事件の起こった地、華清池の五軒庁及び蒋介石を掴んだ捉蒋亭を是非ご見学ください。