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秦二世陵遺跡公園 キングダムゆかりの聖地 |
観光地名 |
秦二世陵遺跡公園 |
住所 |
中国陝西省西安市曲江遺跡公園南岸 |
ランキング |
キングダム史跡・4つ星 |
入場料 |
無料オープン |
観光スポット |
秦殇博物館、曲江出土逸品展示館、秦二世陵 |
行き方 |
地下鉄(大雁塔駅)&市内路線バス |
開館時間 |
08:00-17:30/年中無休 |
兵馬俑と秦始皇帝陵(西安市の臨潼区)に続く大人気漫画『キングダム』ゆかりの聖地、秦二世陵遺跡公園をご案内します。西安曲江ハイテク産業区にあり、大雁塔見物のついでに立ち寄るのがいいでしょう。特にキングダム読んだ方・春秋戦国時代が好きな方は確実に楽しめる場所です。
秦二世とは、キングダムの主人公、政の次男で、秦の始皇帝の二代目、すなわち始皇帝の死後、皇帝を継いだ二世皇帝「胡亥(こがい)」のことを指します。宦官の趙高は始皇帝が行幸中に崩御し、太子の扶蘇に代えて、丞相の李斯と共謀し、始皇帝の遺言を偽り、同行していた扱い易い21歳の「胡亥」を後継者として立てました。宮廷を専横した宦官の趙高によって、まだ若く、あまり賢いとも言えなかった胡亥は執政から遠ざけられ、毎日酒食にふける日々を送っていました。
始皇帝陵や阿房宮の建設に莫大な費用をかけ、内政はおろそかになり、民衆の心は離反し、各地で反乱が勃発するようになります。胡亥がようやく異変に気づいたのは劉邦軍が咸陽の都に差し迫った頃でした。趙高を厳しく問い詰めると、危機を察した趙高はクーデターを起こし、胡亥は自害させられてしまいました。秦二世即位の3年後、24歳の若さでした。
とくに「馬鹿」の語源となった「鹿を指して馬と為す」"指鹿為馬"は秦二世胡亥と宦官の趙高のの故事です。『史記・秦始皇本紀』に載っている話で、是非を転倒し、間違いを押し付けて人を陥れる故事だそうです。
秦二世陵遺跡公園は多数のモニュメント、中華統一した秦が滅びるまでを学ぶことができる秦殇博物館、曲江出土逸品展示館、秦二世「胡亥」のお墓からなります。敷地面積は47000㎡余りあり、 秦代の特徴を取り入れ、直線、幾何、陣列など簡潔な展示手法で作られ、秦王朝ならではの迫力、壮大さを再現してあります。
遺跡エリアは強大な秦王朝が全盛から衰微への道のりを辿った歴史的悲劇を中心に再現し、山門・大殿・陵墓の3つの部分全てが、昔から残されてきた本物です。
遺跡公園内には胡亥(こがい)を皇帝に立てた陰の立役者、法の番人の『李斯』、怪しい宦官の『趙高』、大将軍になった『蒙恬』などのキングダムでお馴染みの歴史人物の銅像や肖像画があります。
二山門の奥に、二世皇帝胡亥の陵、皇帝の墳墓がありますが、規模が小さく粗末で、胡亥が気の毒に思えます。石碑は御影石で3m×1mで、石碑には「秦二世皇帝陵」と隷書が書かれています。
特に博物館の前にはシンボル的なもの、大きい『虎符コフ』が安置されています。『虎符コフ』とは、古代中国で、虎の形に作った銅製の割符で、参戦する将軍が兵を徴発する時の証明として皇帝から与えられた兵符(命令書のようなもの)です。中央朝廷から地方いる官吏や将軍の軍隊指揮権の証明として与えられていた「虎符」は、平時は二つに分けて保管され、片方は皇帝が保管し、もう片方は各地にいる将軍達がもっています。そして、戦時になれば、皇帝の命を受けた使臣が軍隊の駐屯地に行き、虎符を勘合することで初めてその軍隊を動かすことが出来る、という仕組みになっていたそうです。
秦殇博物館では、秦二世の生涯に起こった重要な出来事を中心に、秦王朝の興廃を再現しています。秦王朝の文明を客観的に紹介すると同時に、秦二世の統治による全盛期から急に衰微してしまった歴史を紹介しています。
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