茂陵(もりょう)と茂陵博物館(もりょうはくぶつかん)
名前:茂陵(Mao Ling) 住所:陝西省咸陽興平市 ランク:AAAA級
入場料:80元、開館時間:08:00~18:00、茂陵観光の所要時間:2時間
茂陵(もりょう)は前漢皇帝の武帝の劉徹(前156年~前87)の陵墓です。長安(現在の西安)の北西、渭水を隔てた丘陵上にあります。渭北高原の前漢皇帝9帝の陵墓の中、最も西辺にあり、かつ最も規模の大きい古墳で、東西231m、南北約234m、高さ46.5mの方形台状です。陵の西北に李夫人墓があるほか、東方には衛青・霍去病(かくきよへい)墓が北寄りに、霍光(かくこう)墓ほか十数基の陪冢(ばいちよう)が南寄りに、れぞれほぼ東西に列をなします。全国重要文化財に中国国務院に指定されています。
漢武帝は衛青を将軍に起用し、更に衛青の甥である霍去病も天賦の軍才を発揮し、匈奴を漠北へ追い払うことになりました。数々の遠征によって漢の領土は最大まで広がり、武帝の時代に前漢の全盛期をここに迎えることになりました。さらに張騫を西域へ派遣し、シルクロードを開きました。
茂陵の東側には、茂陵博物館があります。対匈奴戦争の英雄霍去病の墓には茂陵博物館が置かれており、かつてその墳丘を飾っていた多数の石獣を陳列しています。いずれも2メートルから3メートルもあるような花崗(かこう)岩の巨石でつくられており、匈奴の兵士を踏みつけている馬、獲物をねらってうずくまるトラ、ものうげに寝そべっているウシなど、天然の素材を生かした傑作ばかりで、実にリアルで生命感にあふれている巨石の丸彫の珍奇な禽獣です。
霍去病(かくきよへい)は衛青の甥で、甘粛方面の匈奴に壊滅的打撃を与えて西部匈奴の渾邪王を降服させ、前119年には衛青と出撃して匈奴を漠北に一掃する手柄を立てましたが、その2年後に24歳で病死しました。武帝は匈奴征討で輝かしい武勲をたてた驃騎将軍霍去病の死を悲しみ、当時寿陵として造営中の茂陵に陪冢(ばいちよう)として、彼の武功を顕彰するために祁連山にかたどった形で、お墓を作りました。