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莫高窟千仏洞(ばっこうぶつせんぶつどう・バッコウブツ)
仏教美術の粋を集めた砂漠の中の大画廊 敦煌観光のメイン
莫高窟は敦煌東南25kmの鳴沙山東麓の岩壁に掘られており、石窟の長さは約1,618mで、掘削は紀元366年に始まった。現存する492の石窟には合計4万5000平米の歴代の壁画、2,400体を越える彩色塑像、唐・宋時代の五軒の木造建築等が残っている。
莫高窟千仏洞は古代仏教美術の宝庫として、1991年に国連ユネスコ連盟によって世界文化遺産に指定されている。敦煌観光のメインで、敦煌ご旅行時、是非、見学していただきたい。
鳴沙山と月牙泉(めいさざんとげつかせん)
シルクロードで最も美しい砂丘が連なる鳴沙山は、敦煌市西南5kmの所にあり、東西の長さ約40km、南北の幅約20km、最高峰は海抜1,715mで、五色の細かい砂粒の集まりで出来ている。
月牙泉は鳴沙山の北麓にあり、周囲を砂丘に囲まれたオアシスで、湖面が三日月の形をしていることからこの名が付いたものである。
砂丘の真ん中にありながら1,000年以上も枯れたことのない神秘のオアシスの湖内には、鉄背魚や七星草が生息しており、これを食べると長生き出来るという言い伝えから、月牙泉は別名「薬泉」とも言われている。
西晋墓壁画(せいしんぼへきが)
敦煌空港の工事中に発見された西晋から東晋時代(紀元329年)の貴族墓で、墓内のレンガには当時の市民生活や社会、経済の様子がきめ細かに描かれており、漢・唐時代の生活状況が解る貴重な文化遺跡である。
玉門関(ぎょくもんかん)
玉門関(ぎょくもんかん)は中国甘粛省敦煌市の西北90kmにあります。紀元前2世紀末、中国、漢の武帝時代で、河西回廊を保護するために、万里の長城の西端に置かれた関です。南道の出発点である陽関とともに、中国と西域(せいいき)諸国との境界となっており、北道の出発点でした。敦煌からタクラマカン砂漠を抜けカシュガルへ向かう「西域南道」へのシルクロードの重要な堅固な関所でした。「玉門関」の名前は、新疆ウイグル自治区のホータンで産出された「玉石」がここを通り、中国へ入ってきたことに由来しているそうです。
漢長城(かんちょうじょう)
敦煌漢長城(かんちょうじょう)は玉門関の西10kmにあり、秦の時代に築城が始まった万里の長城 も百年ほど後、前漢の武帝が匈奴を撃破して手中に収めた河西回廊を防衛するため大規模な長城を築きました。万里の長城の西端は敦煌の東にある嘉峪関(かよくかん)と言われており、この漢長城はちょうどその西方へ向けての延長線上に位置します。延長は150kmといわれますが、残念ながら風化が進み現在は恐竜の背鰭のようにとぎれとぎれで残っています。城壁に続くように烽火(のろし)台が残っており、さらにその側には、烽火用に準備されたと思われる芦の束が化石のようになって今も残っています。
河倉城(かそうじょう)
河倉城(かそうじょう)は、漢代、玉門関や長城を守備する兵士の軍需食糧倉庫です。建造時代には、近くに川が流れていたことがこの名前の由来です。
陽関(ようかん)
陽関(ようかん)は敦煌より南西約70kmのところにあります。敦煌陽関は2200年前に漢の武帝によって造られたシルクロードの「西域南路」の軍事・ 交通の関所であり、また玉門関同様、重要な軍事拠点でもありました。玄奘三蔵もインドから帰国した際ここを通過している。陽関という名は玉門関の南(陽)にあることから名付けられた。
今は烽火台跡が残る高台には展望台があり、そこからは荒涼としたゴビ砂漠が眺望でき、長い歴史の流れの中で生き抜いた数知れない人々の気持ちを切なく語りかけているような哀愁を感じさせます。
また、この陽関については、唐代の詩人王維が詠んだ有名な詩があります。
「送玄二使安西」
渭城の朝雨 軽塵を潤す
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西の方陽関を出づれば故人無からん
西千仏洞(せいせんぶつどう)
西千仏洞(せいせんぶつどう)は敦煌市西南約35kmの所にあり、党河という川の河岸段丘上にある石窟です。莫高窟が元々、千仏洞という名前ですので、それに対して西千仏洞と呼ばれています。
現存する石窟は19ヶ所で(現在、公開は5ヶ所)、莫高窟と同様式の北魏、唐の壁画が残っているが大半が破損しており、莫高窟のように宋・清代の補修が大々的に入っていないため壊れたままの状態で公開されています。
敦煌古城(とんこうこじょう)/敦煌映画セット
1988年に公開された日中共同製作映画「敦煌」撮影の際に作られた実写スケールの城下町で、五代の頃の敦煌城を復原したものです。内部の仏廟、酒楼、市場などの建物は宋代の清明上河図をもとに再現されたものです。映画の原作は井上靖の小説「敦煌」です。
安西楡林窟(あんせいゆりんくつ)
楡林窟(ゆりんくつ)は楡林窟石窟の間を流れる踏実河(別名は楡林河という)に大きな楡(にれ)の木が生い茂っているからです。25窟の「光化三年」との記載から唐代の開削とされています。東崖に30窟、西崖に11窟の計41窟の石窟に仏陀・菩薩・仏教説話、供養人・官僚・庶民などの現実世界を反映させた壁画、100体余りの彩色塑像が残されています。
雅丹国家地質公園/ヤルダン魔鬼城
ヤルダン魔鬼城の正式名称は「雅丹国家地質公園(ヤルダン国家地質公園)」といいますが、その異様な風景から鬼の住む城という名前で呼ばれています。風の力で、何万年もかけて形成された魔訶不思議な岩が広がるエリアで、大自然の神秘を実感できます。