本ツアーは敦煌郊外の遺跡群の西千仏洞、玉門関、漢代長城、河倉城、陽関を訪れる敦煌郊外1日ツアーです。敦煌の郊外にある名勝旧跡で、敦煌市内から遠いのですが、専用車と専属日本語ガイドがご案内しますし、昼食付で、安心かつ安全な敦煌ツアーをお届けいたします。
敦煌発着 玉門関 陽関 西千仏洞 1日日帰り観光ツアー(お勧め)
人数に関わらず、予約頂いた人数でのツアー催行となり、他のグループとの混載などはありません。
日目 |
都市 |
交通 |
スケジュール |
食事 |
終日 |
敦煌 |
専用車 |
朝、敦煌ホテルでガイドと合流、敦煌観光:
西千仏洞(莫高窟の西側にあるから名付けた)
玉門関(西域行きのシルクロードの関所)
漢代長城(漢代に築城された長城跡)
河倉城(防衛軍の食料を貯蔵した倉庫)
陽関(西域南道のシルクロードの古関所)
夕方、観光後、敦煌のご宿泊ホテルへ。
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朝
昼
夕 |
無
付
無 |
ご旅行代金(単位:人民元・CNY/1人様) |
参加人数 |
1人様 |
2名様 |
3名様 |
4名様 |
5名様 |
所要料金 |
1,990 |
1,120 |
980 |
830 |
760 |
※内訳:ガイド代、専用車代、入場料、昼食代。
※お支払い:当日現地払い、現金(人民元or日本円)、微信(WeChat)、支付宝(Alipay)
※お申込みに参加者全員のパスポート写し(顔写真のあるページ)が必要となります。
※元旦、清明節、労働節、端午節、お盆休み、中秋節、国慶節、春節の連休中のご利用頂く場合、旅行代金が平日より、アップすることがありますので、予めご了承ください。
陽関(ようかん)は中国甘粛省敦煌市の南西約70kmにあり、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つです。併せて設置された玉門関(ぎょくもんかん)より南に位置し、そのため「陽関」と称されます。玉門関と併せて「二関」と呼ばれています。漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で建設した、西域交通南ルートのでの要所です。陽関は、中国で古代より孤独な生活を思い詠嘆する地で、特に唐代の詩人王維の詩「元二の安西に使ひするを送る)」が有名で、「西の方、陽関を出づれば、故人無からん」の節句はよく知られています。
玉門関(ぎょくもんかん)は中国甘粛省敦煌市の北西約90kmにあり、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つです。漢と唐2度に渡り建立されました。現存する玉門関遺跡は唐代のもので、俗称は小方盤城と言います。元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされました。同じく南西に設置された陽関と共に、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していました。玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、唐代の詩人王之渙は『羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関」と詠んでいました。
漢代の長城(かんだいのちょうじょう)は西域北路の関所だった玉門関(ぎょくもんかん)から、さらに西へ10kmのところに、「疎勒河(そろくが)」沿いに延びる城壁跡が残っている漢代に築城された長城跡です。漢の長城は嘉峪関から、さらに西方へ向けての延長線上に位置しています。始皇帝が築いた長城と同様に、漢の長城も西域の脅威であった匈奴の侵略から領土を守るために築かれました。玉門関の漢代の長城はシルクロード沿線にある万里の長城の西端です。
河倉城(かそうじょう)は漢代に西部防衛のために特に漢代の長城を守った軍の兵糧を蓄えた場所です。河倉城の別名は『大方盤城』と言います。
西千仏洞(せいせんぶつどう)は- 中国の甘粛省の 敦煌市西南35kmにある石窟群で、敦煌4大石窟の一つです。莫高窟の西側に位置することから、『西千仏洞』と名付けられます。党河の北側に北朝から西夏代まで19の石窟が現存しています。仏像34尊あまり、総面積800平方mほどの壁画が確認されています。壁画と塑像は莫高窟と同一系統のものです。